朝鮮茶碗の一種。李朝前期に焼かれた陶器。古来朝鮮茶碗のうち最も有名なもので、茶人の間で、大名物・名物と称して特に珍重されている。
その特色、見所としては、形はのびのびとした椀形で、素地は砂まじりの荒い土である。
全面には枇杷(びわ)色と呼んでいる淡い褐色の釉薬が厚くかかり、轆轤(ろくろ)目が際立ち、荒い貫入(かんにゅう)がある。腰部には荒いかいらぎ(焼成時に釉が熔けきらず、鮫膚状にちぢれた状態)が散って釉のはぜから、釉だまりを作っている。釉だまりの回りは、素地を露わしている。
高台は竹の節高台、茶碗の内面には目跡(重ね焼きの跡)がある。
茶席の茶碗として用いられるものの最高位は井戸茶碗であり、中でも最も声名高いのが。この喜左衛門井戸です。従って茶碗の王者と称してはばかりありません。
井戸茶碗の名の由来については古来もろもろの説があります。ただ近ごろの研究によると、およそ李朝の初めごろ、釜山の西北、泗川港の近くの晋州あたりで焼かれたものと推定されています。
この井戸は、慶長のころ大阪の竹田喜左衛門なる人物が所持していましたので、その名が出ました。後に彼は零落して島原の客引から乞食同然の身となりましたが、この井戸だけは身につけて離さなかった、というような伝説があります。それほど人を惹きつける魅力があるといえましょう。大きく堂々とした椀なりに竹の節高台がつき、枇杷色の釉薬は高台脇と高台内で結粒して、いわゆるかいらぎを見せます。あらゆる約束を具備した、最高の名物井戸です。