鎌倉時代に中国浙江(せっこう)省の禅寺天目山に学んだ僧侶(そうりょ)が帰国に際して持ち帰った黒釉(こくゆう)のかかった茶碗をわが国で天目とよんだのに始まるとされ、のちにはこの器形(天目形(なり))のものを天目茶碗とよぶようになった。
天目茶碗の基本形は、低く小さな輪高台(わこうだい)をもち、すり鉢形で、口縁にスッポン口といわれるくびれのあるのが特徴で、これを天目形という。またその釉は原則として黒釉であるが、のちに白釉(白(はく)天目)も現れた。
「油滴」の名はその美しさが油の滴のようであるところからという。現在では油滴天目茶碗と呼ばれるが、室町時代には「油滴」、「油滴天目」と呼ばれていた。
中国江西省吉安市永和鎮にあった吉州窯で生産され、あたかも玳瑁の甲、つまり鼈甲のような発色をみる天目茶碗を天目と呼び、また鼈盞、玳瑁盞とも呼ぶ。器形は大きく二種類に分かれる。一つは、建盞のようにすぼみ気味の形であり、高台はいたって低く、あるかなしかといった程度である。もう一つは、大きく口を開いた平碗形である。