「寒月(かんげつ)」という名前について

「寒月」という言葉は、「寒い冬の夜に浮かぶ月」という情景を表しています。
日本では、寒い季節に見える月には特別な美しさがあるとされています。
冬の澄んだ空気の中で月が静かに光る様子は、落ち着きや静寂、またどこか神秘的な雰囲気を感じさせるものです。
また、この名前には詩的な意味合いも含まれており、日本人にとって季節や自然の美しさを感じさせる表現でもあります。
寒さと静けさの中に凛とした月の美しさがある「寒月」は、見る人の心を穏やかにし、自然の力や四季の移り変わりを感じることができる情景なのです。

この名前は、京都の二年坂にて提供する伝統文化体験の場にふさわしい象徴として選ばれました。

また、「寒月」という名は私の曽祖父、淡島寒月(あわしま かんげつ)にちなんでいます。
彼は明治期に活躍した作家・画家で、江戸時代の美や伝統文化に深い敬意を持って多くの美術品を収集しました。
その収集品は関東大震災で多くが失われましたが、彼の功績と精神は、今も日本の文化の中に息づいています。
私たちの教室では、曽祖父が愛した日本文化の美しさを現代に伝えることを大切にしています。
訪れる皆様に、心静かに、そして深く日本文化に触れていただけるよう、「寒月」という名のもとで、技術と美の奥深さ、日本の風情に浸るひとときを提供いたします。


淡島寒月(あわしま かんげつ)

淡島寒月は、1859年(安政6年)10月23日に東京・日本橋馬喰町に生まれ、
1926年(大正15年)2月23日に没した日本の文学者、俳人、画家であり、小説家・随筆家としても活躍しました。
本名は宝受郎(ほうじゅろう)で、別号には愛鶴軒や梵雲庵などもあります。
彼は若い頃に福沢諭吉の影響を受け、欧米文化に憧れアメリカへの帰化を志しましたが、明治13、14年ごろから江戸文化に目覚め、特に井原西鶴の作品に傾倒しました。
これにより明治時代における元禄文学復興、特に西鶴調の復活に貢献し、文壇に大きな影響を与えました。
その後、禅や考古学、キリスト教、進化論、社会主義など幅広い思想に触れる遍歴を経て、晩年には玩具の収集に熱中しました。
彼の主な著作には、『百美文』『梵雲庵雑話』や小説『百美人』『馬加物語』があり、没後に句集『寒月句集』や『寒月遺稿連句集』などが出版されています。
寒月はまた俳句にも力を注ぎ、句集には「宇治橋や銭吹路の春の風」といった作品が残されています。
彼の活動は江戸文学の研究と紹介に尽力し、明治の文壇に重要な影響をもたらしました。